
すが、今までの聴衆というのは個立した特定の聴衆で、貴族の社会の、いわばお遊び仲間だったわけですが、今度の場合の聴衆というのは、いわば不特定多数の市民の中で、音楽を聴こうという意志をもって切符を買った大衆だったわけです。 ですから、演奏会場へ入れば、あるいは隣同士、これはどこの馬の骨というような他人の関係であったわけなんですが、演奏会形式の非常にすぐれた点というのは、ステージの上で何かが始まる、音楽が始まる。そうすると、その音楽が始まることによって、その進行に従って、会場を埋め尽くしている他人同士の心が次第次第に1つになってきて、同じような動きをし、同じように感動し、同じように悲しむというような形が生まれてくる。つまり烏合の衆が聴衆という1つの目に見えない組織体に集結をされ、いやが上にも音楽の感動に引き込まれて行くようになるのです。 こういった演奏会形式の発展について一番功績のあった作曲家は、べートーベンでした。べートーベンは、今言ったように、その演奏会形式が生まれる少し前ぐらい、まだ宮廷で音楽をやっていたという時代にちょうど生まれまして、べートーベンが若いうちにフランス革命が起きて、貴族社会が崩壊して、いわゆる音楽会形式というのがべートーベンの時代に生まれてきたわけです、そのときに、これはべートーベンだけではありませんけれども、すべての作曲家は初めてそこに聴衆というものを意識しなければならなくなった。聴衆に対して何を言うかということを初めて考えるようになったわけです。 ですから、それまでの音楽というのは、割合と儀式に使ったりなんかする実用的なもの、あるいは貴族のパーティーに使うような実用的なものでしかなかったのが、演奏会形式により人間が人間に対する1つの問いかけ、そういうものに自然に変わってきた。そのことに対して非常に強く意識を持ったのがべートーベンでありました。もちろん演奏会場というのは1000人なら1000人ぐらいの人しかいないわけですけれども、べートーベンは、つまりこの1000人を1つの大衆と考える、市民と考える。そして、最後に「第九」で示したように、簡単に言えば、ひいては人類に対して語りかけるというようなところにまで、この演奏会形式を高めていったということが言えるわけなのでございます。 その辺の時代から自然に我々が考えるようなマネージメントの考え方も当然起きてきたわけで、例えばべートーベンが1000人の聴衆を相手にして「第九」を発表したときマネージャーはもちろんそこにいる1000人の人たちに最高度に受け入れてもらえるようなことを考えてやるわけですが、同時に、それを現代のいろいろな伝達の方法を使って、世界じゅうにその情報を発信していくということをやるわけですね。
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